「Kamikaze」の看板――時間に置き去りにされた記憶
あの瞬間の風は、今でも肌に残っている。熱気と湿気が入り混じったフィリピン特有の空気が、私の頬をそっと撫でる――いや、実際には少しベタつく。それでもどこか優しい。
マバラカットの街を歩いているとき、私は偶然この**「Kamikaze」**の看板に出くわした。無骨な鉄板に刻まれた日本語「神風」。錆びた色と、あの軍旗を思わせる赤と白の模様。時間に置き去りにされたかのようなその看板は、現地の観光案内らしいけど、なんとも妙な存在感があった。
「おいおい、こんなところで歴史の一コマに出会うなんてな」
軽く笑ってみせるけれど、胸の奥に何かが刺さる。それは遠い記憶……いや、記憶というよりも、祖父から聞いた物語に近いものだ。
祖父は戦争を生き抜いた人だった。フィリピンに来たわけではないが、戦争が終わった頃の話を、まるで昨日のことのように話す人だった。「戦争はいいことなんか何もないさ」と言いながらも、最後に決まって「それでもあの頃の空は綺麗だった」と呟く。
私は子供心に「そんな綺麗な空なら見てみたい」と思ったものだ。だけど、今こうして立っているこの場所――時間が止まったような朽ちた看板と、南国の明るい青空が交錯する風景――それは祖父の記憶に近づいたような、少し切ない気持ちを運んでくる。
周りを見渡せば、南国フィリピンの**「今」**が広がっている。
椰子の木がサラサラと音を立て、向こうには自転車に子供たちが笑いながら走っていく。道端では、小さな屋台で焼かれたバナナが焦げる香ばしい匂いが漂ってきて、地元のおばちゃんがにこやかに袋詰めしている。
「一本食べるかい？」
そんな言葉が聞こえてきそうだ。いや、実際に聞こえた。
「あ、一本ください！」
私は慌ててお金を取り出し、熱々の「バナナキュー」を受け取った。串刺しにされたバナナは砂糖がカラメル状に溶けて、外はカリッ、中はトロトロだ。一口食べると、甘さと南国の空気が舌の上で溶け合う。
「……うまいなあ」
思わず呟いた私を見て、おばちゃんが「日本人？」と笑う。なんだか、言葉はいらないなと思った。看板の「神風」と同じように、ここでは時折言葉が朽ちても、人の笑顔や温もりはいつだって生き続けている。
再び看板に目を向けると、強い風が吹き、枯れた葉が足元を転がっていった。
「Kamikaze――神風」
かつてここにいた人々の物語や、その風景を思い浮かべると、言葉にできない気持ちになる。きっと、祖父が見ていた“綺麗な空”とはこういうものだったのかもしれない。時代の悲しみや苦しみを超えて、今ここに流れる空気や風景がどこか温かく感じるのだ。
フィリピンという国は不思議だ。
歴史の痛みを抱えながらも、今を生きる人々は明るい笑顔を絶やさない。ホテルの周りはカラフルなジープニーが行き交い、屋台の音楽はノリノリだ。物価も安く、なんだか旅人を包み込むような安心感がある。
「ここに来てよかったな」
そんな風に思いながら、看板を最後にもう一度写真に収めた。
この一枚が、誰かにとってただの古びた看板に見えるかもしれない。それでも私にとっては、時代を超えて風に運ばれてきた“物語”なのだ。
空は青い。風は吹いている。
祖父の言う「綺麗な空」に、私は少しだけ触れたような気がする。
「ありがとう、また来るよ」
そう小さく呟いて、私は次の風景へと歩き出した。
※フィリピンに行ったのはここに行くのが目的で実際はここに来るまでにはホテルの従業員に頼んで車で時間をかけて何とかたどり着きました。日本人としてどうしても行きたかったのです。
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